廃墟①
こんばんは。 瀬名 ーalso known asー石井です。
先週次回予告みたいなことを唐突に投稿したので、今日はベルリンでの廃墟巡りについて書いてみようと思います。
千葉君が以前の投稿で丁寧にも優しく触れてくれたように、2年前にベルリンを訪問したときに、僕(ら)はかなり悪のりをし、自分は何故かセナと名乗っていました。
その時何故そうなったのか、一時の集団意識とは不可解なものです。
そして勿論説明のつく部分もある訳ですが、そこは申し訳ない。割愛させて頂きたいとおもいます。
けれど、僕の場合はこの前の京都訪問やこのベルリン旅行が、アシラブログに参加することになった直接のきっかけになっているので、
何故かのネーミング、セナという名と共に、色々と思い出しながらつらつらと書いてみようと思います。
廃墟
というものにそのとき僕は初めて訪れる機会がありました。
もう町や駅の名前も覚えていないし、確か東ではなく西ベルリンの外れの方じゃなかったかな、とおもいます。
とにかくベルリン中央駅から二時間くらい電車に揺られ、旅人によくあるようにその時も寂れた素知らぬ駅に降り立ちました。
(阿修羅千葉君)
それほど大きくない国道沿いに廃墟群はあり、以前はその辺一体が小さな町だったように聞いた気がします。
国道を挟んで奥の一体が廃墟エリアになっていて、道沿いにずっとコンクリート製の高い塀で通行人が侵入できないように厳重にガードされていました。
でも、ちょこっと行ったところに見事に穴が空いていてあっさり中に入ることが出来ました。 如何なるボーダーも越えられるべくしてそこにあるかのようです。
塀を越えると意外と大きな林のようになっていて、少し油断すると迷ってしまいそうでした。
10分程度歩くとあら不思議、ザクザク廃屋たちが現れます。
確かに、町自体が放棄されてしまったということが感じられ、自分達が時間の迷い子となっていくのが存分に分かりました。
物理的に時間が停止する訳ではないけど、人の活動だけがある時間を境に無くなってしまう。
その明確なギャップに廃墟巡りは否応なく立ち会わせてしまう。当たり前すぎる話ですが、その場にいるとやはり感じ入るというのか呆然としてしまうものです。
そして、
その中に一際ボロい、まるでラピュタ化したかのような巨大な廃墟が現れ、
僕らはとうとうその場所へと吸い込まれて行ったのでした。
続く。。。
影響
ワッツユアネーム?
万代です。
展覧会終了直後というのは、それ以前の数年間は徐々に世界を縮減していたんだという事に気づかされたりして、ぼやっとしてるといきなり大海原に投げられてしまって、溺れてしまって、危うくなったりもしますね。でもじょじょに大海原を犬かきしてでも泳げるようになってくると、ここに来たかった、この場所、太陽に照らされ水に囲まれ、波に何度もさらわれるでも、心身あるじゃねーの、おれここに居るじゃねーのと実感する、魂が荒ぶるモード。大海原も、犬かきしてた一人の人間の圧力についつい海底まで顔を出し、ついには道をつくる。人のまわりにできた大海原の中の空洞で一滴の水分をもはねのけて歩く人。
そんな中、となりから聞こえてくる、犬かきしているやつが吠える「あなたは誰々に影響を受けている」と揶揄してくる溺れかけた犬かきワック。
殺すぞ。荒ぶる魂が叫ぶ。影響を受けているという事がどういうことだかあなたは少しでも熟考し分析し考察したのか。 影が響く こんな恐ろしい事態について交わってみた事があるかい。 容易く人のこだわりに触れるな。
あれから数年、犬も人になり、周りを見れば大海原の穴は大陸になり、水分は宇宙へと逃げてゆく。
ソウルメイト
脱出
昨日、日本で千葉君に貰った金子光晴のどくろ杯を読破。
脱出について思いを馳せる。
そういえば空想癖の僕は、中学生の頃、実家のトイレの壁面に何年か掛けて謎の壁画を掘っていて、ま、何かの地図みたいなものなのだけど、それを毎日見ながらファンタジーに浸って、爪かコインか忘れたけど少しずつ描きたしていた。
そして、この間久々に見た壁画。
一人の人間(自分か?)が大陸のようなものから脱出していた。
そういえば、高校の頃、最初に見たカバコフの作品も脱出していたし、最初に買った画集の中のクラインも。
で、ベルリンへ来たけれど、でも結局いつも外部にいるという感覚は変らずで、脱出など出来ないということに気がついたという始末。
下の文は「日常からの脱出」という大好きなエッセーの一部。
日常とはじつは、ささえても、ささえなくてもいいものである。しかしそれをもし、ささえねばならぬとするなら、もはやそれは、脱出してもしなくてもいいという安易な枠ではなくなる。戦争が私に教えた唯一のことは、そのことである。いまにして思えば、戦争は私に、日常をのがれることの不可能を教えた唯一の場であった。いかに遠くへへだたろうと、どのような極限へ追いこまれようと、そこで待ちうけているのはかならず日常である。なぜか。私たち自身が、すでに日常そのものだからである。日常とは、日常の「異常さ」の謂である。日常をささえるとは、いわばこの異常さへ自覚的にかかわって行くことにほかならない。
ということで夜も遅いので眠ることで一時的に脱出します、おやすみなさい。
写真は実家のトイレの壁画の脱出の図より。
近藤愛助
DEI 48
このブログを読んでいると、皆さんが芸術修羅として「今日も新しいワザに挑戦中」であることがアリアリと解りますね。
千葉くんのブログにあった、「横浜トリエンナーレ」も、「思い出のマーニー」も、僕は未だ見ることができていませんが、どちらも必ず見たいです。血の涙です。テイク・マニマニ、仕事は大切です。あと、瀬名くんの名前の謎も解けました。あと、近藤愛助さん、初めまして。
10代ぐらいの頃は、僕はドラマ「未成年」を血走った目で見つめながら、汚れ切ったこの世界のどこかにあるという超純白なハンカチーフ、みたいな純潔…という構図でものを考えるのが好きでした。要するにクソの中に立つ鷺…それは俺だッ!と信じて「自殺」って何回も書いてあるような純文学とか電車の隅でめくりながら、その実、フレッシュなホルモン漬けの脳味噌から伸びる汚れ切った血管にグルグル巻きにされた眼球2個で、女子高生の全体を3Dスキャンしたりしていたわけです。キミドリ色の京阪電車はまるで僕の心臓のビートのように”ガタン・ゴトン”、と脈動しつつ京阪、すなわち大阪と京都を根深く貫通していました。
ガタン・ゴトン、ガタン・ゴトン…「我嘆、悟屯」…
(屯=「大勢集まる」の意。…そう、悟りが私の嘆きの中に集まっている…悟りなんて本当にあるのかな。)
僕は色々な本をチャート式数学程度に読みながら、悲惨げな単語を探しているセブンティーンでした。絶望だの、不安だの、孤独だの、なんだの。恐竜は動くものしか見えないんだとか。シミだらけの世界の中で同じシミだらけの迷彩服を着つつも自分をそこから異化すんのに必死みたいなとこありますね。若輩だった僕に対して、今思えばテメーはクソだと喝破したり、京阪八幡駅近くにある線路沿いの砂利の堆積みたいに誰にもその存在の意義を共有されずにただのさばっているだけの自意識の虜囚じゃねえかと思ったりもできますが、そのへんから色々あって、少しずつでも文字通り明快な世界…っていうか少なくとも何かいい感じの方へ!!…と、それでもたぶん危機感の無いぼーっとした顔で寄って来た結果、今は絵を描いているような気がします。絵はたぶん未知に直通してる気がするからマジで自分にとって良いです。健康の問題は、あるとすれば医療があるし。ないとすれば笑って楽しくやってればいいんだし。
最近は制作の中に常駐しています。今年、夏休みはありませんが僕が過ごしたい夏休みは次の引用の中にあります。
魚は舟の上で食うとがいちばん、うもうござす。
舟にゃこまんか鍋釜のせて、七輪ものせて、茶わんと皿をいっちょずつ、味噌も醤油ものせてゆく。そしてあねさん、焼酎びんも忘れずにのせてゆく。
(「苦海浄土」石牟礼道子)
制作って言っても単に、なんかハアハア言いながら絵を描いているのです。ペインターズ・ハイって間違い無く存在するでしょう。だって一日のノルマを終えた後、体はデロデロに疲れているのに、脳味噌は妙にアガッてたりして万能感に満たされたりしているわけだから。穴ぼこに落ちている限りは前後不覚で自分が何やっているかもはやわからないというステージもあるにしても、まあ何とかやっていくわけです。依然として絵を描くのは楽しいです。阿修羅面は「怒り」です。手も六本。香港、確かに行ってみたいなー。おいしいもん食べたい。
榎本耕一