37.5

あけましておめでとうございます。

 

2015年になりましたが、僕は風邪をひいてしまい、体温は37度5分です。風邪に苦しみながら年をまたぐなんて生まれて初めてです。それやったらブログ書いてないでさっさと寝ればア?という話なのですが、僕は正論と戦います。できるだけ正月1日を楽しみたいとか思ったら興奮して全然眠れないんです。榎本ですが健やかではないです。今年もよろしくおねがい致します。

 

というよりも、ひさびさにブログを書きますね。これが初ブログです。風邪は去年からひいている、これって初ナニナニに含まれるのか。

そういえばこの前ぼーっとしながら「天はニ物を与えず」という言葉を口の中で反芻していたら、じゃあ一物なら与えるのかな、っていうか俺イチモツなら確かに持ってるな、これブログに書こうかな、とか考えました。他には、macYOSEMITEにアップグレードすんのとか永遠にしなくてよくならないかな、とか。あれゲロ面倒くさくないですか。したらしたでmacだけ未来に突入して古ぼけたプリンターは使えなくなったり、その対応を調べたりとか。って思うと、「ドラえもん」みたいなロボ、「ナイトライダー」みたいに人格を持った車とか、脳や感情のある生物めいた機械に憧れたこともあったけど、実際に僕のために気を回して欲しいものを予想してくれるとかに限って言えば、今のところそんなに嬉しくないなとか思いました。一回だけ何かの商品でチェックしたら、全然関係ないページにもその商品が掲示されるやつとか、「これ、欲しいんだろ?お前には、コレを欲しいと思った過去があんだよ。」みたいに言われている気がする時もある。このまえ調べたCDとかが別のページに現れているのを見ると、お前はそこで一体何してんだという気持ちにもなる。

 

確かに僕はデジタル一眼レフが欲しい、それについて妄想したいと思ったから調べた、でもパソコン内をホロ酔いで歩き回っているときにも幻覚のように欲しいカメラのイメージを見せるをスグやめよと日々感じる。欲しいというのは俺にとって、ここに無いアレに憧れる、焦がれるような気持ちじゃなかったのかと幼き頃の自分に問うてみる。

もうソレが欲しかったのは過去のことなのに、あたかも心理学的に効果があるかもしれないようなプロセスで、俺の脳の奥深くに鎮座せる海馬とか目の裏に直接の商品を写真を刷る、という軽いロボトミー手術ってか「ゼイリブ」みたいな刻印か影響を、ナニゲなハワイのソヨ風を浴びる様に受けて、実際に店頭でソレにエンカウントした瞬間、気が付いたらレジでカードの暗証番号を絶叫しているような、そういうのじゃなくてさ。

 

僕は子供の頃、地元の商店街にあるオモチャ屋に足しげく通っていた。小さくはないが大きくもない2階建ての、たぶん僕らの街ではスペシャルと言って良かろうモロなオモチャ屋だった。一階には幼児のための玩具や日本人形、ガチャポンがあったが、僕にとって重要なのは二階のファミコンカセットおよびプラモ的な色々なのであった。

僕は十分に甘やかされて育ったにもかかわらず、自由に肥大化する欲望に脳をやられてて、子供には手が出ないような大きい箱のオモチャが欲しかった。もう欲しくてしょうがないけど実際は手に入らないから脳にソレをスキャンして持ってる風で生きて行ってる感じだった。

今考えるとそれは37歳という中年になってさえ高額だと思う。それだけではないにしろ、すなわちタミヤRCカー。僕は毎週のように「タミヤRCカー・グランプリ」を見ていたので、RCカー、特にオフロードバギー系のラジコンに超憧れた。土ぼこりにまみれ汚れて突き進む半裸みたいな車が格好良過ぎた。ファミコンの「エキサイトバイク」に出てくるような起伏ある土の地面を、スパイクタイヤをはいて!

僕は野球は、ボールを投げるときに肩関節がグリってなってうまく投げれないので、野球はあきらめて文化の底に沈むか個人競技をする子供だったにもかかわらず、スパイクだけは欲しかった。いつもは普通の友達なのにスパイクを履いてアスファルトの上を歩き、独特の金属音を鳴らしている音を聞くのまでをも好きだった…。

突起物ということでいえば母親の持っていた剣山の針の面を時々なぜて感触を確かめたりしていた。キン肉マンで言えばジャンクマン、男塾でいえば大威震八連制覇とかで落下すなわち死すべしな針山。スパイクタイヤを愛するのは必定も必定……断言できる。グフの肩とか。鉄球に針が生えてるやつとか。

 

そういえばキン肉マン消しゴムの、特に肌色のやつを選んで超人の胴体に針を突き刺し、ボディーに流れ出る血を描出したりしていました。後に漫画太郎先生の漫画や、激烈バカを読む事に寄って、スカムっぽい極端な絵を描く才能に限界を感じたのもこの頃だったはず…。当時の僕に「ウォーズマンの体内で戦うやつ…」と声を掛けたら、「悪魔騎士ですね?”五重のリング”ならレゴで再現できますよ?」と返答していたかもしれない。…

 

…結果からいえばRCカーは今現在もまだ購入していない。全然嫌いになっていない、むしろ好きだが、たぶんカーの制作過程で電気系統で失敗してなんか作れないや…みたいになりそうな予感しかしない。けどRCカーグランプリというあの番組の最後で小倉さんが「ばばいのばーーい!」と言ってたあの声はずっと耳元なんだ。

 

今年もどうぞ、よろしくおねがい致します。

 

↑ 今年最初の文章。

 

⇩ 去年最後の文章。少し改造。

 

斧は、鉄でできたあの部分が重いがゆえに、フルスイングした時に樹皮を突き破る威力を持ちます。地面と並行の傷に樹体に突き刺さった刃は木片を飛び散らせるというよりもむしろ木の肉をかき分ける。斧さえこの世に存在しなければ決して外気に触れるはずもなかった温かみのある白い肉が途端にフィトンチッドの甘い香りを漂わせるが、痛みをも伝える。斧は実に静かな瞬間を、空間の中に作り出すのである。

 

与作は斧を足下に放り出すと、今一撃を呉れてやった赤松を背にもたれてその場に座り込み、腹巻きから取り出した煙草に火をつけるのであった。「高校に行きてえなあ。」と思いながら、ぼんやりと煙草の煙を吐き出して、自分が金ぴかボタンの新しい学生服を着込んで、知らない制服の女学生に挨拶などされるところを想像しているうちに、昼過ぎの温かい日差しに誘われる様にして、深く眠り込んでしまった。

 

どれほどの時間眠っていたのだろうか。目を覚ました与作は煙と炎に包まれていた。木が爆ぜる音、松脂の強い匂い、逃げ惑う動物たち…
口に咥えたまま眠った煙草が足下に落ちて、いつのまにか山一面を火の海にしてしまったのである。「これじゃあ死ぬだけだ、なんという運命よ、なんまんだぶつ。」と手を合わせたその時。

青白い光に包まれた青年が燃え盛る炎の中にフワフワと浮かび上がって、「わたしはお前の斧だ。火のついた草も木もぜんぶ薙ぎ払ってお前の命を助けてやろうか。」と言った。与作は驚きながらもすがりつくことにした。「助けてくれ、なんまんだぶつ、何でもするから。」
「それには条件がある、今度も大切にわたしを使い続けろ、いいね、約束だからね。」
「わかった!助けておくれ。」
次の瞬間、与作のいた山の草も木も全て切り刻まれて炎と一緒に粉になった。与作は粉だらけの禿げ山に座り込んで手を合わせて感謝した。

 

それから十数年、与作はアメリカ産の大型電ノコの販売員になっていた。斧は、物置の中でほこりを被っていた。日々の生業に忙殺されて、斧との約束など、すっかり忘れてしまったのである。
しかし電ノコを売りまくってすっかり金持ちになった与作を、不慮の事故が襲う。営業のために向かったテキサスに行く飛行機が墜落したのである。与作の命は助かったが、太平洋のど真ん中に放り出された。

木片に捕まって海上に漂うこと三日、朦朧としたままで山で死にかけた時のように「なんまんだぶつ」を唱える与作。
すると奇跡が起こった。通りかかった漁船に発見されたのである。
「さあこの櫂につかまれ」
漁師たちの手で木片から漁船へ引っぱり上げられる与作。

「ありがとうございました…」と息も絶え絶えに漁師に伝える与作。そのとき青空に浮かんだ雲の上から、

「斧を大事にしろー!」

…という声が聞こえた。驚く漁師達。崩れ落ちる与作………頭に斧が刺さっていたのであった……!ほこりを被った古い斧が…。


‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ おわり