廃墟3 ※飛躍から
廃墟とは現在の或る地点から過去の或る時間の痕跡を眺めることですが、それは端的に現在の自分(或は今居る場所)が、仮に未来の或る地点からから見たとき、終焉を迎えることを予告するようなものかもしれません。
自分が自分の記憶の中で、誰かの記憶の中で、名残惜しさを感じながら未来の時間が逆流し、目眩を覚えること。
哀愁とはそのような逆流を、過去の営みの欠落と共に、自身に挟み込むかのようです。
従って、廃墟とは特定の或る場所ではなく、案外身の回りに広がっているものなのかもしれません。
80年前後を自身のバックボーンとする私たちにとって、役割を失い路傍のものとして横たわる空間は、寧ろめずらしいものではありません。
そして、かの2012年6月27日すらも私たちの傍らを過ぎ去ったようです。
思い描いた未来すら終焉した不毛さを寄せ集め、パッチワークのように丹念に紡ぎ直し、新しいメッセージを作り直す作業を、我々は一体どのように名付けえるのでしょうか?
それは一見すると延々と続く円環の一部に取り込まれた動物園のパンダのようにも感じられます。
が、しかし、我々の眼前の空間を遮る明るく透明な仕切りは、或は別の空間・別の出会いへと私たちを誘うことさえ有りうるのです。