超能力日本@京都

f:id:bookshopyamato:20150304200000j:plain

 

↓ フリーズしたのでスクリーンショットを貼っています。

 

f:id:bookshopyamato:20150304195203p:plain

夜…の続きは、「夜でも見れます。丑三つ時でも。」です。

どうぞよろしくお願い致します。(↓詳細)

 

榎本耕一個展「超能力日本」開催のお知らせ : 東山 アーティスツ・プレイスメント・サービス(HAPS)

37.5

あけましておめでとうございます。

 

2015年になりましたが、僕は風邪をひいてしまい、体温は37度5分です。風邪に苦しみながら年をまたぐなんて生まれて初めてです。それやったらブログ書いてないでさっさと寝ればア?という話なのですが、僕は正論と戦います。できるだけ正月1日を楽しみたいとか思ったら興奮して全然眠れないんです。榎本ですが健やかではないです。今年もよろしくおねがい致します。

 

というよりも、ひさびさにブログを書きますね。これが初ブログです。風邪は去年からひいている、これって初ナニナニに含まれるのか。

そういえばこの前ぼーっとしながら「天はニ物を与えず」という言葉を口の中で反芻していたら、じゃあ一物なら与えるのかな、っていうか俺イチモツなら確かに持ってるな、これブログに書こうかな、とか考えました。他には、macYOSEMITEにアップグレードすんのとか永遠にしなくてよくならないかな、とか。あれゲロ面倒くさくないですか。したらしたでmacだけ未来に突入して古ぼけたプリンターは使えなくなったり、その対応を調べたりとか。って思うと、「ドラえもん」みたいなロボ、「ナイトライダー」みたいに人格を持った車とか、脳や感情のある生物めいた機械に憧れたこともあったけど、実際に僕のために気を回して欲しいものを予想してくれるとかに限って言えば、今のところそんなに嬉しくないなとか思いました。一回だけ何かの商品でチェックしたら、全然関係ないページにもその商品が掲示されるやつとか、「これ、欲しいんだろ?お前には、コレを欲しいと思った過去があんだよ。」みたいに言われている気がする時もある。このまえ調べたCDとかが別のページに現れているのを見ると、お前はそこで一体何してんだという気持ちにもなる。

 

確かに僕はデジタル一眼レフが欲しい、それについて妄想したいと思ったから調べた、でもパソコン内をホロ酔いで歩き回っているときにも幻覚のように欲しいカメラのイメージを見せるをスグやめよと日々感じる。欲しいというのは俺にとって、ここに無いアレに憧れる、焦がれるような気持ちじゃなかったのかと幼き頃の自分に問うてみる。

もうソレが欲しかったのは過去のことなのに、あたかも心理学的に効果があるかもしれないようなプロセスで、俺の脳の奥深くに鎮座せる海馬とか目の裏に直接の商品を写真を刷る、という軽いロボトミー手術ってか「ゼイリブ」みたいな刻印か影響を、ナニゲなハワイのソヨ風を浴びる様に受けて、実際に店頭でソレにエンカウントした瞬間、気が付いたらレジでカードの暗証番号を絶叫しているような、そういうのじゃなくてさ。

 

僕は子供の頃、地元の商店街にあるオモチャ屋に足しげく通っていた。小さくはないが大きくもない2階建ての、たぶん僕らの街ではスペシャルと言って良かろうモロなオモチャ屋だった。一階には幼児のための玩具や日本人形、ガチャポンがあったが、僕にとって重要なのは二階のファミコンカセットおよびプラモ的な色々なのであった。

僕は十分に甘やかされて育ったにもかかわらず、自由に肥大化する欲望に脳をやられてて、子供には手が出ないような大きい箱のオモチャが欲しかった。もう欲しくてしょうがないけど実際は手に入らないから脳にソレをスキャンして持ってる風で生きて行ってる感じだった。

今考えるとそれは37歳という中年になってさえ高額だと思う。それだけではないにしろ、すなわちタミヤRCカー。僕は毎週のように「タミヤRCカー・グランプリ」を見ていたので、RCカー、特にオフロードバギー系のラジコンに超憧れた。土ぼこりにまみれ汚れて突き進む半裸みたいな車が格好良過ぎた。ファミコンの「エキサイトバイク」に出てくるような起伏ある土の地面を、スパイクタイヤをはいて!

僕は野球は、ボールを投げるときに肩関節がグリってなってうまく投げれないので、野球はあきらめて文化の底に沈むか個人競技をする子供だったにもかかわらず、スパイクだけは欲しかった。いつもは普通の友達なのにスパイクを履いてアスファルトの上を歩き、独特の金属音を鳴らしている音を聞くのまでをも好きだった…。

突起物ということでいえば母親の持っていた剣山の針の面を時々なぜて感触を確かめたりしていた。キン肉マンで言えばジャンクマン、男塾でいえば大威震八連制覇とかで落下すなわち死すべしな針山。スパイクタイヤを愛するのは必定も必定……断言できる。グフの肩とか。鉄球に針が生えてるやつとか。

 

そういえばキン肉マン消しゴムの、特に肌色のやつを選んで超人の胴体に針を突き刺し、ボディーに流れ出る血を描出したりしていました。後に漫画太郎先生の漫画や、激烈バカを読む事に寄って、スカムっぽい極端な絵を描く才能に限界を感じたのもこの頃だったはず…。当時の僕に「ウォーズマンの体内で戦うやつ…」と声を掛けたら、「悪魔騎士ですね?”五重のリング”ならレゴで再現できますよ?」と返答していたかもしれない。…

 

…結果からいえばRCカーは今現在もまだ購入していない。全然嫌いになっていない、むしろ好きだが、たぶんカーの制作過程で電気系統で失敗してなんか作れないや…みたいになりそうな予感しかしない。けどRCカーグランプリというあの番組の最後で小倉さんが「ばばいのばーーい!」と言ってたあの声はずっと耳元なんだ。

 

今年もどうぞ、よろしくおねがい致します。

 

↑ 今年最初の文章。

 

⇩ 去年最後の文章。少し改造。

 

斧は、鉄でできたあの部分が重いがゆえに、フルスイングした時に樹皮を突き破る威力を持ちます。地面と並行の傷に樹体に突き刺さった刃は木片を飛び散らせるというよりもむしろ木の肉をかき分ける。斧さえこの世に存在しなければ決して外気に触れるはずもなかった温かみのある白い肉が途端にフィトンチッドの甘い香りを漂わせるが、痛みをも伝える。斧は実に静かな瞬間を、空間の中に作り出すのである。

 

与作は斧を足下に放り出すと、今一撃を呉れてやった赤松を背にもたれてその場に座り込み、腹巻きから取り出した煙草に火をつけるのであった。「高校に行きてえなあ。」と思いながら、ぼんやりと煙草の煙を吐き出して、自分が金ぴかボタンの新しい学生服を着込んで、知らない制服の女学生に挨拶などされるところを想像しているうちに、昼過ぎの温かい日差しに誘われる様にして、深く眠り込んでしまった。

 

どれほどの時間眠っていたのだろうか。目を覚ました与作は煙と炎に包まれていた。木が爆ぜる音、松脂の強い匂い、逃げ惑う動物たち…
口に咥えたまま眠った煙草が足下に落ちて、いつのまにか山一面を火の海にしてしまったのである。「これじゃあ死ぬだけだ、なんという運命よ、なんまんだぶつ。」と手を合わせたその時。

青白い光に包まれた青年が燃え盛る炎の中にフワフワと浮かび上がって、「わたしはお前の斧だ。火のついた草も木もぜんぶ薙ぎ払ってお前の命を助けてやろうか。」と言った。与作は驚きながらもすがりつくことにした。「助けてくれ、なんまんだぶつ、何でもするから。」
「それには条件がある、今度も大切にわたしを使い続けろ、いいね、約束だからね。」
「わかった!助けておくれ。」
次の瞬間、与作のいた山の草も木も全て切り刻まれて炎と一緒に粉になった。与作は粉だらけの禿げ山に座り込んで手を合わせて感謝した。

 

それから十数年、与作はアメリカ産の大型電ノコの販売員になっていた。斧は、物置の中でほこりを被っていた。日々の生業に忙殺されて、斧との約束など、すっかり忘れてしまったのである。
しかし電ノコを売りまくってすっかり金持ちになった与作を、不慮の事故が襲う。営業のために向かったテキサスに行く飛行機が墜落したのである。与作の命は助かったが、太平洋のど真ん中に放り出された。

木片に捕まって海上に漂うこと三日、朦朧としたままで山で死にかけた時のように「なんまんだぶつ」を唱える与作。
すると奇跡が起こった。通りかかった漁船に発見されたのである。
「さあこの櫂につかまれ」
漁師たちの手で木片から漁船へ引っぱり上げられる与作。

「ありがとうございました…」と息も絶え絶えに漁師に伝える与作。そのとき青空に浮かんだ雲の上から、

「斧を大事にしろー!」

…という声が聞こえた。驚く漁師達。崩れ落ちる与作………頭に斧が刺さっていたのであった……!ほこりを被った古い斧が…。


‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ おわり

 

 

 

 

 

廃墟3  ※飛躍から

 

廃墟とは現在の或る地点から過去の或る時間の痕跡を眺めることですが、それは端的に現在の自分(或は今居る場所)が、仮に未来の或る地点からから見たとき、終焉を迎えることを予告するようなものかもしれません。

 

 

自分が自分の記憶の中で、誰かの記憶の中で、名残惜しさを感じながら未来の時間が逆流し、目眩を覚えること。

 

 

哀愁とはそのような逆流を、過去の営みの欠落と共に、自身に挟み込むかのようです。

 

 

従って、廃墟とは特定の或る場所ではなく、案外身の回りに広がっているものなのかもしれません。

 

 

80年前後を自身のバックボーンとする私たちにとって、役割を失い路傍のものとして横たわる空間は、寧ろめずらしいものではありません。 

 

 

そして、かの2012年6月27日すらも私たちの傍らを過ぎ去ったようです。

 

 

思い描いた未来すら終焉した不毛さを寄せ集め、パッチワークのように丹念に紡ぎ直し、新しいメッセージを作り直す作業を、我々は一体どのように名付けえるのでしょうか?

 

 

それは一見すると延々と続く円環の一部に取り込まれた動物園のパンダのようにも感じられます。 

 

 

が、しかし、我々の眼前の空間を遮る明るく透明な仕切りは、或は別の空間・別の出会いへと私たちを誘うことさえ有りうるのです。

 

 

 瀬名

 

 

 

 

廃墟弐

 

どうもこんばんわ。   瀬名です

早いもんで9月も終わってしまいましたネ

 

 

そうそう、大分前にドイツの廃墟に皆さんと行ったときのことを書いて、間が空いてしまいました。 そうそうそう、近藤愛助さん(※愛ちゃん)はベルリンに住んでいながら、何故かこの廃墟ツアーには参加していなかったことも思い出しました。

 

そうだそうだ、そうだったんだ。

 

 

紅茶にマドレーヌを浸したように思い出されてくる、あの日のあの瞬間,,,,,,

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

最高にドキドキしながら入ったベルリンの廃墟。

 

 

 

建物が風化しすぎていて崩壊するンではないかと、小生は不安になり申した。

 

f:id:bookshopyamato:20141002005255j:plain

こんな感じのとこから入って...

 

 

 

f:id:bookshopyamato:20141002005706j:plain

f:id:bookshopyamato:20141002005811j:plain

ちょっと行ったら暮露暮露やんな〜 

 

 

 

 

f:id:bookshopyamato:20141002010209j:plain

そんでもって本当にdada広くて迷子になってしまいそうだ。。 

 

 

 

f:id:bookshopyamato:20141002012011j:plain

っていいうかトイレもあったんすね!!!!

 

 

 

 

 

 

f:id:bookshopyamato:20141002010755j:plain

f:id:bookshopyamato:20141002010917j:plain

 階段とか崩れたらヤバそうじゃんか。。。

 

 

 

そして

 

 

屋上に着いたっぽい。。

f:id:bookshopyamato:20141002012547j:plain

 

 

 

 

 

 

f:id:bookshopyamato:20141002012812j:plain

屋上も囃子じゃんCA!!!!! じめんみたいになってるyo !!

 

 

 

 

 

f:id:bookshopyamato:20141002011807j:plain

 

 

to be continued........

芸術の秋

お久しぶりです、近藤です。

芸術の秋ですね。

先週ベルリンで、Berlin Art Week というイベントがあって、abcというアートフェアや、沢山のギャラリーのオープンニングがあったりと、盛り上がってました。

f:id:bookshopyamato:20140925035622j:plainThomas Demand at Sprüth Magers Berlin

f:id:bookshopyamato:20140925040829j:plain

 Vlatka Horvat at Żak | Branicka / abc 

 僕も卒業したベルリン芸大のクラスの関係の展示で、Wiensowski & Harbordという

というスペースで作品を出していました。

f:id:bookshopyamato:20140925041746j:plain

Wiensowski & Harbordでのオープニング終了後の犬とスペース

f:id:bookshopyamato:20140925042344j:plain

した作品。

普段ほぼ引きこもっているので、久々にいろいろな人と話が出来て楽しかったけど、少し疲れました。

ベルリンは、そろそろ冬です。

冬眠の季節です。

 

近藤愛

アムステルダムはいい街

アイムバック、細倉です。

私はいま、成田からアムステルダムに向かおうとしていています。つまり第一ターミナル北ウイング17番ゲート前で時間を持て余して持て余してこの文章を書いているわけです。
ちなみにアムステルダムへは3年連続3回目という恒例行事なので旅慣れた感じでもうあんまりワクワクもしないよね、みたいな雰囲気かもして待ってますけど着いたら着いたでテンション上がるから不思議ですよね。

でも3年前のことを思い出すと初めてのオランダだったので結構はしゃいでたなーと遠い目で思い出せます。
そんな初めてのアムステルダムの不思議な夜のことを思い返しながら書いてみようかと。

3年前、アムステルダム滞在もあと2日となった土曜の夜、滞在の目的も果たしあとは遊べばいいという状態になった午後10時。やっぱり夜遊びしたいってなるじゃないですか。で、やっぱり旅したからには現地のホーミーとセイホーみたいな感じでわいわいやりたいと思うじゃないですか。しかもここはアムステルダム。どう考えても面白い予感しかしない!!!!ということでググり開始。
オンザ週末嗅覚で探す絶対楽しいとこはどこにある、100%の保証はないけどとりあえずいくだけいってみるってメテオくんも言ってたしね。で、アムス在住の知り合いにもお伺いを立てて検討した結果決まったクラブが
Paradiso!!!!!
パラディソだよ、パラディソ!ライカ諸星大二郎!しかも教会を改築してフロアを作ったというもうなんかヤバい感じしかしない。むしろ出来すぎてて怖い。
っていうところでゲートが開場したので続きはアムス着いたらかきます!

細倉

Hey Princess  俺たちだけ人間でいよう

my name is Bandai

 

巣を拡大する。歩いて25秒の公園、反対側のリバーサイド。 

そこに居る子供達は俺の子供達であって、俺の子供達ではない。大人達も同じく。

俺の部屋の1つは太陽が照り、雨も降るが、読書に最適の場合もあるし運動にも最適な瞬間も備えている。 

そこに居る彼等彼女達は我と同じく自分の死を知らない。この世に自分の死を知ってる人がいるだろうか。 死んでいる事を知っている死者はいない。

自分の死体をみたいなら、鏡をみればいい。そこには、死体であって死体ではない姿があるだろう。  俺も鏡見るのやっぱり嫌いじゃない。

蝶々が飛ぶ部屋には蟲もいるだろう。それらは知り合いかもしれない。

記憶を掘る。レコード、カセット、写真、を掘る。

記憶は不意に洪水の様に現れ、平気でその辺の子供も飛んだり親が消えたりしていく。

行った事の無い場所に来たはずが、来た事があった場所に来た時の事。

記憶は不意に掘り起こされ、ショックでイメージの洪水に巻き込まれる。

やはり彼等は知り合いかもしれない。 

いつでも死ねるし、永遠に死ぬ事ができない。

Bron-kさんも歌ってる

「まるで生きる為にゆっくりと死んでゆく様に」

 

f:id:bookshopyamato:20140910161526j:plain